4/2 重富温泉 [旅行:鹿児島]
8月20日(金)
4/2、鹿児島温泉旅行最終日。知覧を後にして、指宿スカイラインを北上し、鹿児島空港を目指す。
途中、錦江高原ホテルに立ち寄る。雑誌には、「名物パノラマ露天風呂からは、雄大に広がる錦江湾、桜島、鹿児島市街が一望できる」と紹介されている。29度のお湯なので、加温しているが、一応かけ流し。
期待に胸を膨らませたパノラマ露天風呂だったが、女性用の湯船は申し訳程度に作られた小さいもの。しかも、曇っていたから眺望もいまいち。泉質もそこそこ。
フライトまではまだ多少時間があっから、気を取り直して、空港近くの重富温泉に行くことに。これが大正解
入浴料は360円也。夕方早目の時間帯だったけれど、ご近所のお年寄りを中心に早くも賑わっていた。温泉施設というよりは、地元の銭湯といった感じ。
56度のお湯には加水してあるけれど、かけ流し。ナトリウム泉のヌルヌルと肌にまとわりつく感じが泉質の良さを感じさせる。こちらは、露天風呂。さすがに内湯は込んでいて撮影不可だった。
鹿児島温泉旅行の〆はやっぱり温泉で。3日間、お天気は曇りがちだったけれど、温泉、お食事、観光地を満喫。最終便で帰阪。
重富温泉
鹿児島県姶良郡姶良町平松6135
360円
0995-66-2683
4/2、鹿児島温泉旅行最終日。知覧を後にして、指宿スカイラインを北上し、鹿児島空港を目指す。
途中、錦江高原ホテルに立ち寄る。雑誌には、「名物パノラマ露天風呂からは、雄大に広がる錦江湾、桜島、鹿児島市街が一望できる」と紹介されている。29度のお湯なので、加温しているが、一応かけ流し。
期待に胸を膨らませたパノラマ露天風呂だったが、女性用の湯船は申し訳程度に作られた小さいもの。しかも、曇っていたから眺望もいまいち。泉質もそこそこ。
フライトまではまだ多少時間があっから、気を取り直して、空港近くの重富温泉に行くことに。これが大正解
入浴料は360円也。夕方早目の時間帯だったけれど、ご近所のお年寄りを中心に早くも賑わっていた。温泉施設というよりは、地元の銭湯といった感じ。
56度のお湯には加水してあるけれど、かけ流し。ナトリウム泉のヌルヌルと肌にまとわりつく感じが泉質の良さを感じさせる。こちらは、露天風呂。さすがに内湯は込んでいて撮影不可だった。
鹿児島温泉旅行の〆はやっぱり温泉で。3日間、お天気は曇りがちだったけれど、温泉、お食事、観光地を満喫。最終便で帰阪。
重富温泉
鹿児島県姶良郡姶良町平松6135
360円
0995-66-2683
4/2 知覧特攻平和会館 [旅行:鹿児島]
8月15日(日)
8月15日は、いわゆる「終戦の日」あるいは「終戦記念日」。政府によれば、「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」(政府広報)。
4月、鹿児島温泉旅行で知覧を訪れた際、知覧特攻平和会館を見学。知覧は、太平洋戦争中、特攻隊の基地のあった場所のひとつ。この街に来たからには、ぜひ、見学してみたかった。
残念ながら、中は撮影禁止のため写真はないが、この会館には、戦争末期、沖縄決戦で一艦一撃の突撃を敢行した特攻隊員1036名の遺影が出撃戦死した順に掲示されているほか、遺品や家族にあてた最後の手紙など、関係資料が展示されている。
鹿児島県沖から引き揚げられた無残な姿の「零戦」や、戦後米軍が補修した後、払い下げられた「疾風」などの当時の戦闘機も展示されていた。会館の外には、隊員たちが寝泊まりしていた半地下式の三角兵舎も復元されている。
会館は、特攻平和観音につながっている。特攻隊員たちの御霊を鎮め、世界の恒久平和を祈念するため、昭和30年に旧知覧飛行場跡に建立された。6年ほど前に改修され、立派な観音像が安置されている。
知覧の街には桜の木が多く、特攻平和会館の周囲には、立派な燈篭がたくさん並んでいる。街の人々は、特攻隊の戦闘員が出陣するまでの間、お食事を出すなどして、もてなしたという。そのお礼にと、遺族の方たちによる街への寄付で、植樹、建立されたとか。
桜を楽しめるのはほんとわずかな期間だけ。だからこそ、勢いがあって美しいのだと思っていた。しかし、知覧の桜は、犠牲となった若き特攻隊員たちの命の尊さを訴えるかのように、悲しく咲く桜なのだ。
今日、このブログをアップしたのは単なる偶然だけれど、ここの展示物や知覧の街の様子を思い出しながら、あらためてあの戦争とはいったい何だったのかを考えるには、いい機会だった。
8月15日は、いわゆる「終戦の日」あるいは「終戦記念日」。政府によれば、「本日は、戦没者を追悼し平和を祈念する日です」(政府広報)。
4月、鹿児島温泉旅行で知覧を訪れた際、知覧特攻平和会館を見学。知覧は、太平洋戦争中、特攻隊の基地のあった場所のひとつ。この街に来たからには、ぜひ、見学してみたかった。
残念ながら、中は撮影禁止のため写真はないが、この会館には、戦争末期、沖縄決戦で一艦一撃の突撃を敢行した特攻隊員1036名の遺影が出撃戦死した順に掲示されているほか、遺品や家族にあてた最後の手紙など、関係資料が展示されている。
鹿児島県沖から引き揚げられた無残な姿の「零戦」や、戦後米軍が補修した後、払い下げられた「疾風」などの当時の戦闘機も展示されていた。会館の外には、隊員たちが寝泊まりしていた半地下式の三角兵舎も復元されている。
会館は、特攻平和観音につながっている。特攻隊員たちの御霊を鎮め、世界の恒久平和を祈念するため、昭和30年に旧知覧飛行場跡に建立された。6年ほど前に改修され、立派な観音像が安置されている。
知覧の街には桜の木が多く、特攻平和会館の周囲には、立派な燈篭がたくさん並んでいる。街の人々は、特攻隊の戦闘員が出陣するまでの間、お食事を出すなどして、もてなしたという。そのお礼にと、遺族の方たちによる街への寄付で、植樹、建立されたとか。
桜を楽しめるのはほんとわずかな期間だけ。だからこそ、勢いがあって美しいのだと思っていた。しかし、知覧の桜は、犠牲となった若き特攻隊員たちの命の尊さを訴えるかのように、悲しく咲く桜なのだ。
今日、このブログをアップしたのは単なる偶然だけれど、ここの展示物や知覧の街の様子を思い出しながら、あらためてあの戦争とはいったい何だったのかを考えるには、いい機会だった。
4/2 知覧武家屋敷庭園 [旅行:鹿児島]
8月12日(木)/→
鹿児島温泉旅行3日目。
吹上温泉のみどり荘を後にして、車を東南へ走らせること約1時間。知覧武家屋敷庭園に到着。
江戸時代、薩摩藩は藩内を113の外城とよばれる行政区画にわけて藩を治めていた。外城の中には麓と呼ばれる武士の居住区があり、知覧もこの麓のひとつだった。知覧麓が今に見られるような姿に整備されたのは、18世紀中ごろと伝えられている。
大路を意味する馬場に沿って並ぶ武家屋敷郡の風景は、各家に連続する石垣と大刈り込みを特徴とする。写真の本馬場を中心に東西約900メートル、南北約200メートルの範囲は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。
今でもほとんどの屋敷が住居として使用されていて、屋敷ごとに趣向を凝らした庭園を見学することができる。公開されている7つの庭園のうち、池泉式はひとつだけで、あとはすべて枯山水の庭園。中には、レストランとして使用されているお屋敷も。
屋敷の中でも知覧二ツ谷民家は、三角屋根がL字型に2つつながっている知覧特有の建築様式。居住区である「おもて」と台所・土間の「なかえ」を小さな棟でつないだ形状が特徴的。二ツ家は昭和に入って「かなえ」部分はほとんど消えたらしく、写真の二ツ家は平成になって復元されたもの。
本馬場に連なる石垣と大刈り込みの道は、日本の道百選にも指定されている。
鹿児島温泉旅行3日目。
吹上温泉のみどり荘を後にして、車を東南へ走らせること約1時間。知覧武家屋敷庭園に到着。
江戸時代、薩摩藩は藩内を113の外城とよばれる行政区画にわけて藩を治めていた。外城の中には麓と呼ばれる武士の居住区があり、知覧もこの麓のひとつだった。知覧麓が今に見られるような姿に整備されたのは、18世紀中ごろと伝えられている。
大路を意味する馬場に沿って並ぶ武家屋敷郡の風景は、各家に連続する石垣と大刈り込みを特徴とする。写真の本馬場を中心に東西約900メートル、南北約200メートルの範囲は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。
今でもほとんどの屋敷が住居として使用されていて、屋敷ごとに趣向を凝らした庭園を見学することができる。公開されている7つの庭園のうち、池泉式はひとつだけで、あとはすべて枯山水の庭園。中には、レストランとして使用されているお屋敷も。
屋敷の中でも知覧二ツ谷民家は、三角屋根がL字型に2つつながっている知覧特有の建築様式。居住区である「おもて」と台所・土間の「なかえ」を小さな棟でつないだ形状が特徴的。二ツ家は昭和に入って「かなえ」部分はほとんど消えたらしく、写真の二ツ家は平成になって復元されたもの。
本馬場に連なる石垣と大刈り込みの道は、日本の道百選にも指定されている。
4/1 みどり荘のお食事 [旅行:鹿児島]
8月8日(日)
大阪は夕方からの予報なのに、いまだ降る気配なし。夕立があると夜は断然涼しいのに…。
さて、鹿児島温泉旅行2泊目のお宿、みどり荘の晩ご飯は、お部屋「つつじの間」にて。離れでゆっくりと食べられるのは何よりの贅沢。
1泊目のお宿のお献立は質素だったから、なんだか、この量には単純に大喜びの私
食前酒 自家製梅酒
先付け アスパラ豆腐、なまこポン酢
吸い物 オマールつみれ
お造り 季節もの盛り合わせ ← 写真には撮り忘れたけれど、豪華な舟盛りだった
蓋物 百合根饅頭 ← 南瓜、菜の花、海老芋、茄子などのお野菜に隠れている
焼物 帆立素焼(イワシ梅煮、湯葉オクラ、烏賊沖漬け、もずく酢、北寄貝胡麻和え、二色パプリカ) ← 中でも烏賊の沖漬けは日本酒によくあう(なぜか焼酎でないところがダサい)
揚げ物 薩摩揚げ ← 鹿児島に来たからにはこれは「是非もの」。揚げたてで超美味しかった。
温物 黒豚しゃぶしゃぶ ← これもなくてはならない一品。しゃぶしゃぶは大好物なのよね
酢の物 海鮮土佐酢ゼリー寄せ ← 酸味もほどほどで、口当たりもよくて絶品。酢の物のゼリー寄せは初めてかも…。
止碗 豆腐の赤だし ← 写真に撮り忘れたけれど、これはいたってフツーだった。
食事 桜海老とグリーンピースの釜飯 ← ひとり分ずつ釜飯で出された。底にはお焦げがあって、最後まで美味しくいただいた。
お食事の後には、デザートに豆乳プリン。テーブルに添えられたお献立には、「レザート」と書かれてあったが、はたしてこれは薩摩地方特有の言い回しか、はたまた単なる書き間違いか…。
そして、その名も 骨まで愛して
お後がよろしいようで…。
大阪は夕方からの予報なのに、いまだ降る気配なし。夕立があると夜は断然涼しいのに…。
さて、鹿児島温泉旅行2泊目のお宿、みどり荘の晩ご飯は、お部屋「つつじの間」にて。離れでゆっくりと食べられるのは何よりの贅沢。
1泊目のお宿のお献立は質素だったから、なんだか、この量には単純に大喜びの私
食前酒 自家製梅酒
先付け アスパラ豆腐、なまこポン酢
吸い物 オマールつみれ
お造り 季節もの盛り合わせ ← 写真には撮り忘れたけれど、豪華な舟盛りだった
蓋物 百合根饅頭 ← 南瓜、菜の花、海老芋、茄子などのお野菜に隠れている
焼物 帆立素焼(イワシ梅煮、湯葉オクラ、烏賊沖漬け、もずく酢、北寄貝胡麻和え、二色パプリカ) ← 中でも烏賊の沖漬けは日本酒によくあう(なぜか焼酎でないところがダサい)
揚げ物 薩摩揚げ ← 鹿児島に来たからにはこれは「是非もの」。揚げたてで超美味しかった。
温物 黒豚しゃぶしゃぶ ← これもなくてはならない一品。しゃぶしゃぶは大好物なのよね
酢の物 海鮮土佐酢ゼリー寄せ ← 酸味もほどほどで、口当たりもよくて絶品。酢の物のゼリー寄せは初めてかも…。
止碗 豆腐の赤だし ← 写真に撮り忘れたけれど、これはいたってフツーだった。
食事 桜海老とグリーンピースの釜飯 ← ひとり分ずつ釜飯で出された。底にはお焦げがあって、最後まで美味しくいただいた。
お食事の後には、デザートに豆乳プリン。テーブルに添えられたお献立には、「レザート」と書かれてあったが、はたしてこれは薩摩地方特有の言い回しか、はたまた単なる書き間違いか…。
そして、その名も 骨まで愛して
お後がよろしいようで…。
4/1 みどり荘@吹上温泉 [旅行:鹿児島]
8月5日(木)
夏の温泉&ドライブ旅行を今月下旬に控えているにもかかわらず、いまだに春の旅行ネタを引っ張るこの大胆さ。旅行の様子を記録に残すこともこのブログの目的だから、まっ、いいか。
鹿児島市内を観光した後、2日目の宿泊先のある吹上温泉へ。宿に行く前に、近くの吹上浜海岸まで足をのばす。
吹上浜は、県立自然公園に指定された東シナ海に面した約47キロメートルに及ぶ弧状の砂丘海岸地帯。これらの砂丘地帯では地形の高低や幅など変化が多く、砂丘美と規模の広大な景観は、鳥取砂丘、九十九里浜と並ぶ日本三大砂丘の一つとなっているとか(鹿児島県HPより)。1978年にカップルが行方不明になるという、いわゆる拉致容疑事案が起こった悲ししい場所でもある。
どこまでも続くきめの細かい砂浜の向こうには、東シナ海を臨む。お天気は今一つだったけれど、眺めは壮観だった。
今宵のお宿、みどり荘は、歌人斎藤茂吉が愛した定宿。湖畔に8つの離れ和室が点在する。
露天風呂は無色透明で、白い湯の花が浮かんでいた。ちょっと温度は高め。41度はあると思う。
こちらは内湯。泉質は露天風呂と同じで、単純硫黄泉だけれど、こちらのお湯には黒い湯の花が大量に浮かんでいて、透明のお風呂が黒く見えた。温度はやはり高い。
どちらにもシャーワーはなく、壊れかけた年代物のカランだけ。ちょっとシャンプーはしづらいが、泉質は抜群で、髪の毛はサラサラに
高温でかなり体が火照ったので、後は、お決まりのビール。
旅館みどり荘
〒899-3303 鹿児島県日置市吹上町吹上温泉
099-296-2020
夏の温泉&ドライブ旅行を今月下旬に控えているにもかかわらず、いまだに春の旅行ネタを引っ張るこの大胆さ。旅行の様子を記録に残すこともこのブログの目的だから、まっ、いいか。
鹿児島市内を観光した後、2日目の宿泊先のある吹上温泉へ。宿に行く前に、近くの吹上浜海岸まで足をのばす。
吹上浜は、県立自然公園に指定された東シナ海に面した約47キロメートルに及ぶ弧状の砂丘海岸地帯。これらの砂丘地帯では地形の高低や幅など変化が多く、砂丘美と規模の広大な景観は、鳥取砂丘、九十九里浜と並ぶ日本三大砂丘の一つとなっているとか(鹿児島県HPより)。1978年にカップルが行方不明になるという、いわゆる拉致容疑事案が起こった悲ししい場所でもある。
どこまでも続くきめの細かい砂浜の向こうには、東シナ海を臨む。お天気は今一つだったけれど、眺めは壮観だった。
今宵のお宿、みどり荘は、歌人斎藤茂吉が愛した定宿。湖畔に8つの離れ和室が点在する。
露天風呂は無色透明で、白い湯の花が浮かんでいた。ちょっと温度は高め。41度はあると思う。
こちらは内湯。泉質は露天風呂と同じで、単純硫黄泉だけれど、こちらのお湯には黒い湯の花が大量に浮かんでいて、透明のお風呂が黒く見えた。温度はやはり高い。
どちらにもシャーワーはなく、壊れかけた年代物のカランだけ。ちょっとシャンプーはしづらいが、泉質は抜群で、髪の毛はサラサラに
高温でかなり体が火照ったので、後は、お決まりのビール。
旅館みどり荘
〒899-3303 鹿児島県日置市吹上町吹上温泉
099-296-2020
4/1 西郷隆盛像~城山展望台 [旅行:鹿児島]
6月17日(木)
天文館まで来たからには、少しは鹿児島市内の観光名所を回ろうということになり、まず向かっのたのは、西郷隆盛像。
言わずと知れた鹿児島のこの英雄の像は、没後50年を記念して、1927(昭和2)年に建立が計画され、1937(昭和12)年に設置された。渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照の作品。
場所は鹿児島中央公園のすぐ近く。国道をはさんだ中央公会堂の前には、撮影用にこんな工夫がほどこされている これは重宝
西郷像のすぐ裏には、城山展望台が控えている。桜島と錦江湾、鹿児島市街を一望できる場所。あいにくの曇りで「絶景」とはまではいかなかったのが残念
天文館まで来たからには、少しは鹿児島市内の観光名所を回ろうということになり、まず向かっのたのは、西郷隆盛像。
言わずと知れた鹿児島のこの英雄の像は、没後50年を記念して、1927(昭和2)年に建立が計画され、1937(昭和12)年に設置された。渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照の作品。
場所は鹿児島中央公園のすぐ近く。国道をはさんだ中央公会堂の前には、撮影用にこんな工夫がほどこされている これは重宝
西郷像のすぐ裏には、城山展望台が控えている。桜島と錦江湾、鹿児島市街を一望できる場所。あいにくの曇りで「絶景」とはまではいかなかったのが残念
4/1 白熊@天文館むじゃき [旅行:鹿児島]
6月13日(日)
市場食堂でうに丼を堪能した後、白熊を食べに、鹿児島市内の繁華街、天文館にあるむじゃきへ。
白熊…といっても、熊の肉を食べるわけではない。これは鹿児島名物のデザート。細かく削られた氷の上にフルーツや練乳がのったご当地スイーツ、早い話がかき氷なのだ
ガイドブックによれば、氷の上絵にトッピングされたレーズンが、上から見たときに、白熊に似ているのが名前の由来とか。昭和22(1947)年に、ここ天文館むじゃきで考案された。
チョコレート白熊やヨーグルト白熊など、バリエーションも豊富。私たちがいただいたのは、一番シンプルな白熊のミニサイズ。そのせいか、ガイドブックの写真で見たのよりも、トッピングが貧弱だったような
ちなみに、鹿児島の方たちは、真冬でも白熊を食べるらしい。
市場食堂でうに丼を堪能した後、白熊を食べに、鹿児島市内の繁華街、天文館にあるむじゃきへ。
白熊…といっても、熊の肉を食べるわけではない。これは鹿児島名物のデザート。細かく削られた氷の上にフルーツや練乳がのったご当地スイーツ、早い話がかき氷なのだ
ガイドブックによれば、氷の上絵にトッピングされたレーズンが、上から見たときに、白熊に似ているのが名前の由来とか。昭和22(1947)年に、ここ天文館むじゃきで考案された。
チョコレート白熊やヨーグルト白熊など、バリエーションも豊富。私たちがいただいたのは、一番シンプルな白熊のミニサイズ。そのせいか、ガイドブックの写真で見たのよりも、トッピングが貧弱だったような
ちなみに、鹿児島の方たちは、真冬でも白熊を食べるらしい。
4/1うに丼@市場食堂 [旅行:鹿児島]
6月10日(木)
桜島からフェリーで鹿児島市内に上陸したのがちょうど12時ごろ。向かった先は、鹿児島市中央卸売市場。
鹿児島旅行2日目のランチは、この場内にある市場食堂で。
出発前にチェックしていたガイドブックには、「遠方からも次々と客が訪れるほどの人気店」と紹介されていたが、市場近くの会社のサラリーマンや常連さんもけっこういらして、店内は満席だった。ちょうどお座敷席がひとつ空いていて、すぐに座ることができた。
注文したのは、うに丼(1200円)。お味噌汁がついているとはいえ、とてもシンプルなメニュー。この他にも海の幸を中心に、お手頃なメニューがいろいろ。
うにの甘さと磯の香りが口の中いっぱいに広がる。う~ん、美味
さて、次はデザート
桜島からフェリーで鹿児島市内に上陸したのがちょうど12時ごろ。向かった先は、鹿児島市中央卸売市場。
鹿児島旅行2日目のランチは、この場内にある市場食堂で。
出発前にチェックしていたガイドブックには、「遠方からも次々と客が訪れるほどの人気店」と紹介されていたが、市場近くの会社のサラリーマンや常連さんもけっこういらして、店内は満席だった。ちょうどお座敷席がひとつ空いていて、すぐに座ることができた。
注文したのは、うに丼(1200円)。お味噌汁がついているとはいえ、とてもシンプルなメニュー。この他にも海の幸を中心に、お手頃なメニューがいろいろ。
うにの甘さと磯の香りが口の中いっぱいに広がる。う~ん、美味
さて、次はデザート
4/1レインボー桜島@桜島マグマ温泉 [旅行:鹿児島]
6月6日(日)
黒神埋没鳥居に衝撃を受けた後、桜島の南側道路をひた走り、目指したのはフェリー・ターミナル近くにある桜島マグマ温泉のレインボー桜島
桜島マグマ温泉は、今も活発な火山活動を続ける活桜島の地下1000mにあるマグマ層から毎分300リットル湧き出している。地底で燃えるマグマを実感できる豊富な源泉の泉質は茶褐色をした含鉄泉。飲用にも適し、貧血症に効果があるとされている。
湯船には、茶色い湯の花が浮いていて、泉質はなかなかのもの。ガラス張りの展望風呂からは、桜島フェリーの行き交う様子がよく見える。
マグマ温泉でを楽しんだ後、フェリー・ターミナルへ。
鹿児島市内までは15分の船旅。
短い時間ではあったけれど、デッキに出て景色を楽しむことに。曇天の鹿児島が近づいてくる。
フェリーが鹿児島市内に着いた時にはもう12時。そろそろお腹がすいてきた。さて、何を食べようか…。
桜島マグマ温泉 レインボー桜島(HP)
〒891-1419
鹿児島県鹿児島市桜島横山町1722-16
099-293-2323
黒神埋没鳥居に衝撃を受けた後、桜島の南側道路をひた走り、目指したのはフェリー・ターミナル近くにある桜島マグマ温泉のレインボー桜島
桜島マグマ温泉は、今も活発な火山活動を続ける活桜島の地下1000mにあるマグマ層から毎分300リットル湧き出している。地底で燃えるマグマを実感できる豊富な源泉の泉質は茶褐色をした含鉄泉。飲用にも適し、貧血症に効果があるとされている。
湯船には、茶色い湯の花が浮いていて、泉質はなかなかのもの。ガラス張りの展望風呂からは、桜島フェリーの行き交う様子がよく見える。
マグマ温泉でを楽しんだ後、フェリー・ターミナルへ。
鹿児島市内までは15分の船旅。
短い時間ではあったけれど、デッキに出て景色を楽しむことに。曇天の鹿児島が近づいてくる。
フェリーが鹿児島市内に着いた時にはもう12時。そろそろお腹がすいてきた。さて、何を食べようか…。
桜島マグマ温泉 レインボー桜島(HP)
〒891-1419
鹿児島県鹿児島市桜島横山町1722-16
099-293-2323
4/1黒神埋没鳥居 [旅行:鹿児島]
6月3日(木)//
現在も噴火を繰り返す桜島。その誕生は今から約2万6000年前にさかのぼる。もともとは独立した島だったらしいが、大正3年の大爆発で、溶岩が海峡を埋め立てて、大隅半島と陸続きになった。
道の駅「たるみず」から桜島へは、大隅半島を経て、陸路から上陸。島全体をドライブして楽しむことにした。大隅半島側の道路を走っていると、桜島と溶岩でつながった形跡がうかがえる。
1か所だけ、是非とも立ち寄ってみたかったのが、黒神埋没鳥居。大正3年の桜島の大爆発で、黒神地区687戸は火山灰の下に埋没した。高さ3メートルの原五社神社の鳥居も、笠木だけ残して、かろうじてその姿が見えるほどにまで埋没。
時の村長、野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝えるため、発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになった。
2009年だけで、548回の噴火があった。大爆発でもしない限り、大きなニュースとなって伝えられることはないから、その噴火の回数の多さに正直驚いた。
鳥居のすぐ横には、「黒神げんき塾」というのがあり、ここには桜島の噴火の様子を伝える資料が展示されている。近くの中学校の生徒が管理しているようだ。
自然の脅威の前に、なんと人間の無力なことか…。
現在も噴火を繰り返す桜島。その誕生は今から約2万6000年前にさかのぼる。もともとは独立した島だったらしいが、大正3年の大爆発で、溶岩が海峡を埋め立てて、大隅半島と陸続きになった。
道の駅「たるみず」から桜島へは、大隅半島を経て、陸路から上陸。島全体をドライブして楽しむことにした。大隅半島側の道路を走っていると、桜島と溶岩でつながった形跡がうかがえる。
1か所だけ、是非とも立ち寄ってみたかったのが、黒神埋没鳥居。大正3年の桜島の大爆発で、黒神地区687戸は火山灰の下に埋没した。高さ3メートルの原五社神社の鳥居も、笠木だけ残して、かろうじてその姿が見えるほどにまで埋没。
時の村長、野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝えるため、発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになった。
2009年だけで、548回の噴火があった。大爆発でもしない限り、大きなニュースとなって伝えられることはないから、その噴火の回数の多さに正直驚いた。
鳥居のすぐ横には、「黒神げんき塾」というのがあり、ここには桜島の噴火の様子を伝える資料が展示されている。近くの中学校の生徒が管理しているようだ。
自然の脅威の前に、なんと人間の無力なことか…。